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Jun. 5, 2010

今回は、代々木公園を散歩してみました。明治神宮に隣接した代々木公園は、JR山手線原宿駅から徒歩数分の場所にあり、都会のど真ん中にあって緑の多い屈指の緑地帯となっています。

元々は、旧陸軍省の練兵所として使われており、第二次世界大戦終戦と同時にアメリカ進駐軍に接収された後は、進駐軍の宿舎として使われていました。ワシントンハイツと名付けられた一帯は、アメリカの国力と豊かさを敗戦国である日本に見せつけ、アメリカナイズする目的も担っていたという解釈もあったようです。

終戦当時、食糧難に陥っていた日本の窮状と過剰在庫となっていた小麦の処理に悩んでいたアメリカの思惑は見事に合致し、学校給食はパン食となりました。そして、豊かな生活のイメージとパン食のイメージを合致させ、日本における小麦の消費を増やすためのイメージ作りの一端をこのワシントンハイツは担っていたのでしょう。広い芝生の中に点在する宿舎は白いペンキ塗りの壁と、広いガラス窓お持ち、当時の日本国民の目には羨望の対象として映ったことでしょう。下の写真は、ワシントンハイツの航空写真です。

そんなワシントンハイツは、東京オリンピック開催を期に、オリンピック選手村として姿を変えることとなりました。ワシントンハイツをアメリカの占領から取り戻すための努力は並大抵ではなかったことでしょう。現在においても、沖縄の米軍基地移転を巡っては、一国の長の出処進退にも影響を与える、極めて大きな事柄となっています。そもそも、敗戦国に戦勝国が駐留することは、治安の維持の為には必要なことなのでしょう。しかし、終戦から六十年以上も駐留し続ける必要があるのかについては、大いに疑問を持ちます。

オリンピック選手村に姿を変えたワシントンハイツでは、アメリカ軍の宿舎をそのままオリンピック選手の宿舎として使いました。そして1967年(昭和四十二年)にオリンピック選手村は代々木公園として生まれ変わりました。ワシントンハイツ時代の宿舎は一棟を残してすべて取り壊されました。そしてその一棟だけ残った宿舎を今回は見に行ってきました。

一棟だけ残った宿舎は、「オリンピック記念宿舎」と名付けられ、保存されています。場所は、代々木公園の原宿門からほど近い場所です。「オリンピック記念宿舎」前には花壇が作られていました。

「オリンピック記念宿舎」前には、この宿舎の事を説明する看板が建てられています。残念ながら、ワシントンハイツ時代の事を示す記述はありません。


白いペンキ塗りの壁と、鮮やかなミントグリーンがアクセントとなった佇まいは、当時のアメリカの生活様式を彷彿とさせます。


窓ガラスを良く見ると、現代のフロートガラスでは見られない反射の揺らぎがありますので、恐らく建築当時にはめ込まれた吹きガラスがそのまま使われているのでしょう。


宿舎の全景です。子細に見ると、屋根はスレート瓦ですし、壁の薄いプレハブの様な造りで、決して豪華な作りではありません。安普請と言っても良いくらいの造りです。それでも、芝生の中に佇む姿は、今でもある種の憧れを持ってしまいます。
増して、当時の困窮した日本人から見れば天国のように見えたことでしょう。


ワシントンハイツ、そして昭和三十九年に開かれたオリンピックを経た遺構がひっそりと公園の片隅にあります。写真では良く分からないかもしれませんが、この宿舎はかなり老朽化が目立ちます。屋根は波打ち、曇ったガラス窓から僅かに見える室内は、はがれおちた壁材が床に積った状態です。
先の東京オリンピックを記念して残された宿舎が、ゆっくりと朽ちて行く一方で、いま再び東京にオリンピックを誘致しようという動きがあります。成否の程はわかりませんが、今一度お祭り騒ぎをして、その余韻をかみしめるのも良いかもしれません。

オリンピック記念宿舎